ひとり暮らしの歌たち


ひとり暮らしをしていたときに作った曲を大声で歌っていたら、なんだか懐かしい気持ちになってきた。


僕は4月末まで期間限定で姉の部屋を借りてひとり暮らしをしていた。23歳にしてはじめてひとりで生活をしたので、いろいろ困難とかもあったが(そういえば水道が止まったりしたこともあったhttp://c-kugenuma.hatenablog.com/entry/2016/04/09/195401)、だいたいにおいてかなり謳歌できていたと思う。といっても、たとえば友人を招いたり女の子を連れこんだり、そういうことはいっさいせずに、孤独に粛々と生きていたんだけれど。


ずっとあこがれていたことがある。それは、べつにたいしたことじゃないのだけれど、「東京の(せまい)空を見上げながら、古いアパートのベランダで(あるいは開けはなった窓ごしに)たばこをふかす」、というものだ。『ストロベリーショートケイクス』というわりと好きな映画があって(どうやら漫画原作らしい。読んでいない)、そのなかでフリーターの里子を演じている池脇千鶴が似たようなことをやっていた。漠然としたイメージながらもいいなあと思っていたのは、この一連の動作からただよう「生活感」だ。東京で、ひとりで、ほそぼそと、でもちゃんと生きている感じ。その強さと、自由さと、ある種の向こう見ずさと。それらはぜんぶ僕に足りないものだった。だから、あこがれていた。


それが、自分ではなにも行動しないまま部分的だとはいえ簡単に叶ってしまうというのは、けっこう衝撃的だった。もちろん僕は姉の「おこぼれ」をもらったにすぎないから、ぜんぜん「ちゃんと生きて」なんていないんだけれど、それでもその、なんというか、東京のひとり部屋と窓さえあればコピーはできてしまうわけである。


晴れた日、窓をがらりと開けて、サンダルをはき、ベランダに出る。陽だまりになっているコンテナのうえに腰かけて、たばこをくわえ、ライターで火をつけて、けむりを吸いこむ。ぼんやりと外の景色を見ながら、ふうっと、ため息をつくみたいに、けむりを吐きだす。ありゃあ、叶っちまったなあと思って、なるほどこんな感じだったんだな、と納得した。なんだか思っていたのとおなじような、違うような、妙に手ごたえのない夢の達成で、ちょっと間が抜けてしまったのを覚えている。


話をもどそう。作曲の話。


姉の部屋に愛用のアコースティックギターを持ちこんでいたので、思いついては自由にいろんな曲を歌っていた(角部屋で、隣人は基本的に夜しかいなかったので、昼間だと大声を出しても迷惑にはならなかった)。「夢見るバンドワゴン」とか「悲しみの果て」とか「BABY BABY」とか「ジュテーム?」とか、たくさん。すると、リラックスした状況だったからか、けっこう頻繁にメロディーとコードがうかんでくる。それに歌詞をつけて、簡易録音をしたりして、自分でひそかに盛り上がった。そんなふうにして、けっきょく3か月間で4・5曲くらいできたのかなあ、我ながら好きな曲もあって、歌うとなんかぜんぜん違う感じになっちゃうんだけど(作曲するときには脳内で好きな歌手の声が流れていたから)、まあ、それはそれで、アマチュア的な享楽としてはいいのかもしれないなあって思った。このとき作った曲はぜんぶ僕の宝物だ。


僕は肺がぶっ壊れていて、息が長く続かない。あとそもそもなんとなく自分の声がきらい。それでも、曲を作って歌うことは基本的に楽しい。『ソラニン』の芽衣子さんによると「評価されてはじめて価値がでる」らしいから、だれにも聴かせていない僕の曲たちには、たぶんなんの価値もないのだろう。だけどやっぱり、それでも楽しい。純粋にわくわくするし、できあがったものを頭のなかで流していると、なんかほんとうに「存在する」曲みたいに思えてくる。他人に聴かせたり、お金をとったりしない以上、楽しいのがいちばんだよね、きっと。


しかし、貴重な時間を割かせてまで他人に自分のエゴを聴かせるなら、あるていどは上手くなければいけない。つまり努力と才能が必要、ということ(誰かに刺さってしまいそうなので留保。これはあくまで僕自身の戒めなので、他の人に押しつけるつもりはない。だから君は君のやりたいようにやればいいし、じっさいにやってもいるだろうし、そもそも僕は自由に生きている人が好きなのだ)。


ということで、そのどちらもが伴っていない僕は、明日からもひとりで楽しく歌いつづけることにして、思い出をふりかえるのを、一旦やめにする。

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↑これは商店街を散歩しているときに見つけたトムくんです。