水道


水道が止まった。


昨日の晩お風呂に入ろうと思って蛇口をひねったらお湯がでなくて、あれおかしいなとなり、でも水はでる、ということはお湯が止められたのだと思った。おそらく今朝家をでるときにシャワーを浴びたままお湯をだしっぱなしにして放置していたせいだろう(身に覚えはないけど)。携帯でしらべたらお湯ってどうやら1時間くらいずっと使い続けてたら安全装置がはたらいて止まるらしく、それでたぶんなんかそういうことになったにちがいない。ガスの会社に電話しなきゃいけないんだけど夜だしいま誰ともしゃべりたくない気分だしでなんとなく躊躇い、うーん、じゃあまあどうせなら冷水で身体を洗うというひもじさを楽しんでみるのもいいのかもしれないという挑戦的な気持ちになった。昔からそうだが僕はこういうとき極度のめんどうくさがりと謎めいたタフさを発揮する。


いくら春めいてきたとはいえ、夜中に水シャワーはやばい。全身に浴びてたら身体がぶるぶる震えてきて、指先とかもう動かないし足のうらもしびれはじめてしまう。髪の毛を洗うために顔に冷水をぶっかけたときなんて思わず「ひょええ〜」と間抜けな声をだすくらいの衝撃をうけ、こりゃまいった、このシャワーから飛びでているこの水はもはや兵器だ、ウェポンだ、とわけのわからない考えが頭をよぎる始末だった。


そんなこんなでお風呂からでて(この一連の行為が「お風呂」と呼べるならの話だが)、タオルに包まり、着替えてからウイスキーをひとあおりしたのちに床についた。ぼんやりと小学生のころ経験した毎年6月ごろのプール授業を思いだして、あの冷たさ、あの絶望感、懐かしくなり、三角座りで体温を保とうとするあのころの我々の健気な試行錯誤を愛おしく感じた。


それで本日の朝、目が覚め、またあの冷水ウェポンをシャワーとして浴びようと覚悟をきめながら浴室にむかうと、なんと一滴も水がでない。ためしにお湯の蛇口もひねったがむろんそれも無理。つまりどうやら我が302号室においてはガスの死によりお湯がでなくなったのではなく、そもそも根本として水道が断たれていたらしい。料金はクレジットカードで払っているはずだし、なんだこれは、なんだこの不憫さは、不思議なこともあるもんである、と全裸でソファーに腰掛けて憤った。管理人さんとか水道局とかに連絡すべきなのはわかってるけどそれも億劫なので、とりあえず服を着たのち、いろいろ携帯でしらべてあらゆる可能性を洗いだした結果、今日は外出をやめ、1日ミネラルウォーターで生活することを決定した。


ところで「水がでない」というのは概念としてなんとなくインパクトがつよい。人間にはどうあれ流水が、よどんだ水ではなく流れている水が必要なわけで、だからこの部屋から流れる水が一時的にであれ失われたことは(大げさ)、生活的にももちろんだけどむしろそれより人間的にすごく正しくないことだと思う。とか言いながら僕は文字盤をたんたんタップしている。これはかなり人間的に間違っているふるまいであるにちがいない。いまから電話する。

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