植物の茎


よくわからないけどたぶん僕の感情の表面部分にはちょうど植物の茎の皮のようにすこしぶ厚くて緑色の防御壁があるのだと思う。それが剥けて感情のとろとろした中身がさらけ出されるとなんかもうだめ、どんな弱い刺激でも死にそうになるほど落ち込んでしまう、落ち込むというよりももっと重くて瞬間的なかんじなんだけど。刺激っていうのはたとえばぜんぜん知らない他の人の深爪だったり、出してる声のトーンや笑うときの感じだったり、あるいは1ミリの肉体的接触だったりする、電車のなかとかを想像してもらえるとわかりやすいと思うな、車両の閉鎖空間にいろんな人がパック詰めされてゆらゆら動いたりしててそのときのとん、あるいはぴたり、という触れあい、これが弱い刺激のイメージ。つまり要するに僕にとっての刺激物とかパニックを引き起こす原因とかっていうのはまあこれすなわち他人であるわけで、なるほどこういう感情の皮が剥けた瞬間には俺は誰とも関わるべきではないのだと、そういうふうに理解した、けれどまあじっさい俺だって誰かの(あるいは自分の)他人なんだよな、本質的な脅威としての他人、薔薇みたいな棘を茎にくっつけている他人。だからいまこの瞬間に知らない人たちの感情の中身のとろとろ部分を痛めつけてしまってるかもしれません、そのときはどうする、いややっぱり閉じこもるべきか、誰とも関わるべきではないのか、でもそもそもそんなことってできるのか。苦しい。緑色の絶望。

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