躊躇い


いまのところ、僕の人生をもっとも強く規定する力は「躊躇い」だ、と思う。躊躇いは声を出すこと、手を伸ばすこと、その他もろもろの働きかけを阻害する。地味でいじわるな悪魔。


僕は躊躇っているときの自分がすごく嫌いだ。ちいさくてたよりない。どうしても身体がそわそわと動いてしまう。


きっと、ひろいデパートのなかで親とはぐれて迷子になった子どものように見えているのだろう。焦りながら、きょろきょろと、なにかのきっかけを探してさまよっている。


それで、ぜんぶが過ぎ去ってしまい、手の打ちようがなくなったあとで、めちゃくちゃ後悔する。もう取り返しがつかなくてがっかりする。まただ、と思う。ああ、まただ、僕はなんど同じことを繰り返せば気が済むのだろう?


ちなみに、躊躇いは英語でおもにhesitationだが、たまにwaveringと表すこともある(と思う)。後者の躊躇いは波のように漂っているイメージとむすびつく。


迷子の子ども、それから、波のように漂うこと。いずれにせよ躊躇いが僕に想起させるのは、孤独な情景だ。


躊躇ってばかりいるのは、孤独だからなんだろうか。

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