寂しさとエッセイ本について

寂しさが心のなかで膨れ上がると、それ以外のいろんな感情たちがぜんぶ窒息して死んでしまうような気がする。

みんなそういうときどうするんだろう、って思った。

そういうとき(というか今朝だったんだけど)、僕はほんとうに息ができないように感じるので、たまらず自分じゃない誰かに救いを求めようとしてしまう。友達に連絡したり、Twitterに投稿したり。でも、他人はむろん当たり前のように他人なわけで、誰も僕のことなんて助けてはくれない。まあ、それはそれで仕方のないことだと思う。みんなどうすればいいのかわからないよね、そりゃあ。

だから、自分でなんとか死んだ感情たちを生き返らせるほかないのだが、はてはてどうしたらいいのか、この肥大化した寂しさはどっしりと重く沈み込むように居座る傾向があるので、いままでどうも対処に困っていた。

でも、最近になってようやく対処法が確立した感じがするので、それをご紹介したい。なにかというと、いやべつに単純なんだけど、好きな女性作家のエッセイ本を読むことである。

僕だけがそうなのか、あるいは僕みたいな人ならみんなそうなるのかわからないんだけど、彼女たちの言葉を読むと、なんというか、こう、人生が取り戻されるように思えるんですよねえ。

女性作家のエッセイ本は、日常的なあれこれについての直接的で感覚的な描写のなかに、ときどきはっとするような観念が入り込んでいるのが素晴らしい。たとえば、化粧ポーチについて、その色とかにおいとかなかに入っている細々した化粧品とかについてはじけるような文体で説明したあとに、ふと線を引きたくなるような核心的な一文を書いたりさ。

読みながら、わあきれいな色だなあ、とか、それはいいにおいだろうなあ、とか、ポップで素敵みたいだなあ、とか、いろいろ想像する。そうしてるとしだいに寂しさが溶けていくのを感じる。

彼女たちの書く、平凡で切ない幸福な日常は、寂しさに効くのだ。

ああ、それと。あと、僕がそれを好きなもうひとつの理由には、僕の「こそこそ声フェティシズム」もあるのかもしれないなあ。こそこそ声っぽいでしょ、なんか。

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