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(創作)労働


「ぶつぶつうるさい、黙って働け、金をかせげ」と僕のなかの監視がわめきたてる。あまりにもそれが毎秒毎秒続くため、しだいに僕は僕が言葉を発しようとするたびにひとさじの恐怖を感じようになってしまった。無意味さや無力さのねばつきを感じるようになってしまった。

そしていま僕は完全な沈黙に落ち込んだ。頭のなかの言葉たちはついにみずからを生成するのをやめた。思考になるはずだった閃光は思考として形作られる前に融解して暗い海になった。僕は世界を見ている。しかし世界は世界として存在するのをすでにやめてしまっている。僕には感情がない。はじけるような笑いと底なしの憂鬱を隔てていた境界はすでに消えてしまっている。いまの僕はただ手のひらに感じる刺激にしたがって命令どおり両手両足を動かすだけの機械に成り果てていた。そしてそれが「黙って働き、金をかせぐ」ことなのだと監視はかつて語っていた。労働。もはや僕には労働の感覚しか残されていなかった。ひとさじの恐怖はとうとう僕を人間ではなくしていた。

かつて言葉があったころ、僕は僕が奴隷的な人間であることに絶望していた。意味と力への隷属的状態にあることを嘆いていた。自分の悲しみを悲しむこと、その果てしなさに疲れていた。生活のわずらわしさに怒りを覚えていた。やるせなかった。やめたかった。

しかし、かつて言葉があったころ、僕は奴隷であっても人間であった。僕は金木犀の花の香りをかぐことができた。太陽に目を焼かれて泣くことができた。街の孤独な風に凍えることができた。酒の味に舌を痺れさすことができた。その気になれば思う存分悲哀に沈むことができた。そして、僕はそれらについて書くことができた。それらについて書いて、それからそれらを記憶の金庫に保管して好きなときに眺めることができたのだった。

僕は僕ではなくなったこの肉体を見た。僕であったはずの魂を見た。そして叫んだ。

我々はまだ叫ぶことができることを知った。たとえ言葉を失ったとしても、我々には叫びが残されていたのである。

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