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海を漂っているような気分について、あと、このまえ見た映画の話

せっかく誕生日だったんだから、その日にあったことをまとめて書いちゃおうと思ってこの画面を起動させたのだけれど、改めてこうやって頭のなかの出来事をぐるぐるとめぐっていると、けっきょくどこから書きはじめればいいのかわからなくなってしまった。文章を書くのって骨が折れるし難しいですね。

 
 
 
 
コンパスや海路図を持たずにひとりで海のうえを漂っているときと似たような気分になることがたまにある。ううん、もちろん僕はひとりで船に乗った経験なんて一度もないし、そもそもコンパスや海路図や、あるいはレーダーなんかって、きっと最近はもうほとんどの船にあらかじめ備わっているんだろうから(たぶん)、そんなふうに海をただ漂うみたいなことがもはやできっこないのはわかっている。だからこれはぜんぶ想像の話で、つまり僕が言いたいのは、ある瞬間の僕の気分は「想像上の漂流」に似ているってことだ。
 
 
その船はきっと茫漠とした海のうえにぽつんと浮かんでいるんだろうなと思う。
 
 
エンジン音の最後の切れ端が海と空に吸い込まれていってからもうずいぶん時間が経った。僕は船の縁に腰を下ろしてまわりの景色を眺めている。脈動するようにゆらゆらと波打つ水面がどこまでも続いていて、低くて重いグレー色の雲がどこまでも続いている。「もうすぐ雨が降る」というたしかな予感がある。僕の髪の毛は船上で潮風をうけたためにごわごわとこわばっており、指先は長いあいだ湯船に浸かっていたときみたいにふやけている。伸ばした右足のズックは先のほうが海水でできた水たまりに触れて、その部分だけ黒く変色している。
 
 
こんな感じのイメージ。こんな感じの気分。
 
 
そのときの僕はべつに特定の何かについて考えているわけではないんだろう。頭を働かせるには落ち込みすぎているし、それにたぶん、こういう状況で何かを真剣に考えようとしたって、けっきょくたいした考えに至るわけないのだ。だから海のうえで途方に暮れている僕が思いつくのはきっと、ありきたりで、凡庸で、断片的なことなんじゃないかなって気がする。


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誕生日は後輩の女の子に誘われてデートをしてきた。彼女は僕が所属していた文学ゼミのふたつ下で、大学を卒業した今でも関係がつづいている数すくない友人のひとりだ。僕たちは数ヶ月ごとに会って、読んでいる本についての話だったり、いまのお互いについての話だったりをする。たまたま彼女の予定が空いている日が僕の誕生日だったからってことで会ったんだけど、彼女が誘ってくれなければ僕はひとりでベッドのうえをごろごろしていただけだったろうから、正直とってもありがたかった。
 
 
その日は霧みたいに細かくてしっとりとした雨が降っていた。僕たちは東京駅で待ち合わせて、有楽町の映画館までおしゃべりしながら歩いた。映画を見にいく約束だったのだ。
 
 
僕たちは『わたしに会うまでの1600キロ』という映画を選んだ。母親が亡くなって自暴自棄に陥った女性が、アメリカのパシフィック・クレスト・トレイルをハイキングすることで自分を取り戻していくという話。こう書くとすごくうっとうしい映画のように思うかもしれないけれど、原題はWildで、邦題から連想されるようないかにもガールズ・ムービーっぽいあざとさは意外となかった。足の爪がはがれるシーンだったり、セックスの描写だったり、わりと生々しいところがあるから、ちょっと注意したほうがいいかもしれない。
 
 
この映画のポイントはたぶんふたつあって、ひとつは荒野にたいするアメリカ人の独特な(「アメリカン・アダム神話」の時代から脈々と続く)まなざしと、もうひとつは主人公シェリルと母親ボビーとの母娘関係だ。今回の記事では映画の感想を深く書こうと思わないので、これらについて考えることはひとまず置いておくけれど、それなりにまとまっていて、よくできた映画だったんじゃないかなという気がする。でも荒野を歩く目的が「自分探し」なんて、ねえ。そういうのにはちょっとうんざりしてしまう。
 
 
映画館を出て、本屋に寄った。後輩の女の子は江國香織が好きらしい。彼女がいちばん最初に読んだ江國作品だからということで、『神様のボート』をプレゼントしてもらった。あらすじを聞いたら、それはどうも不倫していた母親とその娘についての小説ということだ。
 
 
『わたしに会うまでの1600キロ』を見て、本を物色したあと、僕たちは銀座にあるビアホールで食事をした。そこでビールを飲み、アイスバインを食べながら、いつものようにお互いの話をして、終電の小田急で帰った。
 
 
学部時代に文学だけじゃなく映画の勉強もしていたから、趣味として、DVDや動画サイトなんかで適当なのを選んで見ることは多い。いちど見ると止まらなくなって、立て続けに何本も何本も再生してしまい、頭がぼーっとすることもしばしばある。それでも、映画館の大きなスクリーンでみるのは久しぶりだった。彼女のほうも映画館にはしばらく行ったことがなかったみたいで、「ディズニーランド並みにわくわくしますね」と言っていた。
 
 
有楽町の映画館が好きだ。それほど大きくないし、親密な感じがする。ポップコーンのにおい、ふかふかした赤い椅子、予告が終わってカーテンがひかれ、ぐんと大きくなるスクリーン……

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